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建築板金発祥の地、横浜・神奈川で仕事をする 誇りを持っています。横浜港風景

創立百周年記念ページ

100周年記念誌 > ページ内リンク:百寿を迎えました >

横浜市板金組合連合会は、平成二十八年に創立百周年を迎えました。
創立百周年に関わるさまざまな情報を、こちらでご覧ください。

記念式典および祝賀会

平成29年11月29日(水)、無事に盛大な式典を終えました。ご出席・準備/運営の皆様、ありがとうございました。

日時:平成29年11月29日(水)
記念式典:午後1時00分~午後2時30分
祝賀会:午後2時45分~午後4時45分
会場:ホテルメルパルク横浜
住所:横浜市中区山下町16(電話 045-661-8155)
        ホテルメルパルク横浜の地図 >

御来賓の方々
御来賓の方々

御来賓の方々(神奈川県板金工業組合関連)
御来賓の方々(神奈川県板金工業組合関連

横浜市板金組合連合会 青年部
横浜市板金組合連合会 青年部

【 記念式典 】

受付のようす 会長 齋藤真人 挨拶 ご来賓の方々と執行部 来賓:横浜市技能職団体連絡協議会 会長 堀内裕司 様のご挨拶 組合功労者表彰 前会長:塩田力 前運営委員長:佐久間弘之 式典会場

【 祝賀会 】

祝賀会1 祝賀会2 祝賀会3 祝賀会4 祝賀会5 祝賀会6

百寿を迎えました

参考画像:赤レンガ倉庫
明治44年竣工
赤レンガ倉庫
 
参考画像:横浜クイーンの塔
昭和9年竣工 銅板葺き
クイーンの塔
 
組合旗
横浜市板金組合連合会 組合旗

明治24年に米国より横浜港へ陸揚げされた煉瓦。その梱包に使用されていた薄鉄板に、錫メッキしたブリキ板。それを加工したのが板金職人のルーツだそうです。とき同じ頃、現在の横浜市中区太田町に明治25年、男児が誕生する。「清寿」と名付けられた男児が板金組合のルーツ、初代会長となるのです。戦前より私の住む鶴見区生麦に住を成していたので、家業を継いだ孫の方も含め我が家と懇意にしておりました。残念ながら孫の方は組合を脱退してしまいましたが、座間在住で連絡はとっています。

初代会長である菊井清寿氏は東京の錻力屋で修行後、独立し横浜にもどる。自分を含めた9人兄弟みな錻力屋だったそうです。第一次世界大戦直後の大正6年4月に、「横浜鋼鉄板金工業組合」発足に尽力しました。大正11年に、二代会長、倉橋幸吉氏の時「横浜銅工事請負業組合」。三代会長、清水茂十郎氏の昭和5年に「神奈川県板金工業組合横浜市連」と改名。

(だんだん近付いてきましたね)戦後、五代会長となった、野村幸三郎が昭和42年、神奈川県板金工業組合設立に寄与し初代理事長に就任。六代会長、佐藤武雄氏に引き継がれ、七代会長となる歌川菊次郎氏と共に尽力し、昭和60年1月「横浜市板金組合連合会」設立となりました。同年「横浜市技能職団体連絡協議会」に登録し第6回「横浜技能まつり」初参加。昭和63年には青年部発足と先人達の行動力には驚きです。八代会長、塩田力氏が16年もの長きに渡り会員を牽引して盤石の連合形態を形成。三浦貞夫九代会長が志半ばで他界しなければ、この挨拶は私がしていないでしょう。

百を用いた言葉、「武芸百般」「百戦錬磨」など縁起の良い言葉ばかりです。会員一同、数ある職業の「百獣の王」になるべく頑張りますので、ご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願いします。
 
※創立百周年記念誌より(文末省略)
 
会長 齋藤 真人
会長 齋藤 真人

横浜市板金組合連合会 創立100周年記念誌

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